ホタテ貝殻から創製した蛍光体とその応用
海の副産物を医薬品などのセキュリティ対策に役立てる研究開発~

キーワード : ホタテ貝殻、リサイクル、焼成、蛍光、PCID

はじめに … 筆者が暮らす北海道は水産業が盛んで、特にオホーツク海や内浦湾はホタテの養殖が有名です。一方、その副産物として毎年大量の貝殻が排出され(写真①)、そのリサイクルに頭を悩ませてきました。そんな厄介物に「まさかそんな特徴がありそんなことに役立つとは思わなかった。」という活用が見つかれば、これまでとは一変して付加価値の高い資源へと変貌し、地域の産業振興に寄与するのではないかと考えています。

ホタテ貝殻の特徴 … 写真②をご覧ください。中央に生のホタテ貝殻、その周囲に炭酸ガス中焼成1)した四枚の貝殻、四隅には微量の試薬を添加して焼成した貝殻粉を試料容器に入れ、並べて置きました。これらを暗箱の中に入れ紫外線(UV-C)を当てると、その右の写真に示すように生の貝殻に変化は見られませんが、焼成した貝殻と貝殻粉はカラフルな色のを放ちます。筆者は焼成したホタテ貝殻に、石灰石2)にはない蛍光3)という特徴が備わる4)ことを発見しました。

応用の考え方 … ホタテ貝殻はカルシウムを豊富に含み、砕いて粉末にしたものを食品(ビスケットなど)に添加して食べたり、サプリメントとして呑んだりしています。そこで、光るホタテ貝殻の粉末を使って食用の絵具(白色)を作り、お札の特殊発光インキ5)のように錠剤そのもの秘密の印(≡PCID6))を付けることで、クスリやサプリメントのセキュリティ対策7)に役立つのではないかと考えています。(写真③)

    

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エピソード … 石炭火力発電所の排ガスには硫黄酸化物が含まれており、これを除去するために脱硫剤8)と呼ばれる資材が用いられます。この脱硫剤をホタテ貝殻から造る技術について相談があり、取り組むことになりました。残念ながらホタテ貝殻から製造した脱硫剤は価格面で既製品に太刀打ちできず製品化されませんでしたが9)、この取り組みの過程で、焼成したホタテ貝殻に紫外線を当てると蛍光を放つことを偶然発見10)するという幸運に恵まれました。

コラム … 京都の智積院というお寺に長谷川久蔵作「桜図11)」(1593年)という国宝障壁画が所蔵されています。この障壁画には「夜桜」というもうひとつの姿があり、館内の灯りを落とすと暗がりに桜の花がぼんやりと光って12)浮かび上がるように見えます。その花びらは貝殻を砕いて作った胡粉を塗り重ね描かれているそうですが、何故ぼんやりと光って見えるのかはよく分かっていない13)ようです。桜図のミステリー、そのメカニズムは奥が深そうです。

レビュー … ここまで読んでいただき、有難うございます。本文の補足説明を以下のフットノート欄に記しましたので、ご参照ください。また、本ホームページの内容は「ホタテ貝殻から創製した蛍光体とその応用(セラミックス, Vol.53, p.493-496)14)」に詳しく著したので、ご一読いただけたら幸いです。さらに詳しい内容は、次のページの論文や研究報告等をご参照ください。

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フットノート(その1)
1) 焼成とは、物質の性質を変化させるために原料等を高温で焼くことです。例えば、レンガを硬くするために窯で焼くこともそのひとつです。【戻る
2) 日本は資源の乏しい国と言われますが、石灰石は例外中の例外で、すでにこの資源(石灰石)を使ったありとあらゆる活用が考え出され、国内にはセメントに代表される石灰石の一大産業が築かれています。
①石灰石鉱業協会
(https://www.limestone.gr.jp/index.htm)、②日本石灰協会 (http://www.jplime.com/)
ホタテ貝殻も石灰石も主成分は炭酸カルシウムなので、両者の化学的性質はとてもよく似ています。ホタテ貝殻のリサイクルに取り組む場合、石灰石とは違った活用を考えなければ事業化は難しく、何か戦略を持って臨むことが肝要です。戦略については、10)もご覧ください。【戻る

3) 蛍光とは、物質に可視光より少し高いエネルギーの電磁波(≡紫外線)を照射すると可視光を放射する発光現象のことです。例えば、蛍光灯はこの現象を応用した照明器具です。尚、紫外線照射の他に電子線や電界による蛍光もあります。さらに詳しい説明は、例えば次の文献をご参照ください。【戻る
①蛍光体ハンドブック/蛍光体同学会編/オーム社/ISBN 9784274031830

4) ホタテ貝殻の発光現象のメカニズムについては、貝殻中に含まれる微量のCu、Mn、Clが関係していると推察されますが、詳しいことは分かっていません。ところで、自然界にはホタテ貝殻と同じ様に炭酸カルシウムが主成分で、ホタテ貝殻と似た色の蛍光を放つ方解石(カルサイト)という鉱物があります。例えば、次の文献をご参照ください。
①光る石ガイドブック/山川倫央/誠文堂新光社/ISBN 9784416808702
②蛍光鉱物&光る宝石ビジュアルガイド/山川倫央/誠文堂新光社/ISBN 9784416809433
両者は同じメカニズムで蛍光を発していると考えられ、この分野の研究のさらなる進展が渇望されます。【戻る

5) 国立印刷局/お札の偽造防止技術/特殊発光インキ
(https://www.npb.go.jp/ja/intro/gizou/genzai.html)戻る
6) U.S. Food and Drug Administration / Incorporation of Physical-Chemical Identifiers into Solid Oral Dosage Form Drug Products for Anticounterfeiting (October 2011)
(https://www.fda.gov/regulatory-information/search-fda-guidance-documents/incorporation-physical-chemical-identifiers-solid-oral-dosage-form-drug-products-anticounterfeiting)戻る
7) 次のサイトをご覧ください。「NHKクローズアップ現代/2017.9.13放送」(https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4032/index.html)
この問題の厄介な点は、服用者が偽物と気づかなければ事件は発覚せず、偽物を服用し続けてしまう可能性があることのようです。
筆者のような薬の素人が甚だ僭越ですが、ハーボニー事件では本物のボトル容器の中に偽物の錠剤が入っていたことから、ホタテ貝殻蛍光体の適否はさておき、今後は錠剤そのものへのセキュリティ対策も肝要と思われます。
医薬品のセキュリティについては次のサイトをご参照ください「医薬品セキュリティ研究会」
(https://www.secure-design.jp/)戻る

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フットノート(その2)
8) 排煙脱硫技術のひとつである湿式・石灰-石膏法の化学反応式を以下に示します。
2CaCO3 + 2SO2 + H2O → 2CaSO3・H2O + 2CO2 ・・・ (1)
2CaSO3・H2O + O2 + 3H2O → 2CaSO4・4H2O ・・・ (2)
ここで、(1)式の左辺にある炭酸カルシウム(CaCO3)が脱硫剤です。一般にこの脱硫剤は石灰石の粉末を使用しますが、これをホタテ貝殻で代替しようというのがこの取り組みの狙いでした。排煙脱硫技術についての詳しい説明は、例えば次の文献をご参照ください。
国立環境研究所/環境展望台/排煙脱硫技術
(https://tenbou.nies.go.jp/science/description/detail.php?id=32)戻る
9) こうしたチャレンジが難しいのは、2)で触れたような理由のためと考えています。当時市場には既に石灰石製の安価な既製品が存在し、性能面で特に不満もなかったと思われるので、もし仮にホタテ貝殻製の脱硫剤を製品化し、原材料がユニークなことから話題に上ったとしても、お客様に長い間ご愛顧いただくことは難しかったと考えられます。【戻る

10) 科学史を紐解くと、先人たちの偉大な発見や発明にはふとした偶然が切っ掛けで生まれたというエピソードが数多く残されています。それは考えに考えても中々思いつかないのですが、諦めずに考え続けないと生まれない不思議なものです。これについては、例えば次の文献をご参照ください。
①山田大隆/天才科学者の不思議なひらめき/PHP研究所
(https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=4-569-63438-9)
②柳田博明/セレンディピティについて (http://blog.livedoor.jp/yanagida0601/archives/50854507.html)
筆者ごときがこのようなことを語ると厚顔無恥と笑われそうですが、筆者が30年以上に亘り地域の産業振興を目的に企業の製品開発を技術面から支援する仕事に取り組んできたなかで、依頼者の要望に沿った支援に従事することは勿論ですが、ふとした偶然の出来事にも注意を払いながら「
時々わき目も振れる戦略」で臨みました。【戻る

11) 桜図については次のサイトをご参照ください。戻る
①桜図
(京都宝物館探訪記より) (https://www.kyotodeasobo.com/art/static/houmotsukan/img/tisyaku-sakura01.jpg)
②京都宝物館探訪記/第3回 智積院宝物館と長谷川一門の傑作障壁画
(https://www.kyotodeasobo.com/art/static/houmotsukan/chisyakuin-temple/02-chisyakuin-tohaku.html#.X3AjUEhxeUn)
12) この情報は本ホームページの読者からメールでご提供いただきました。大変興味深い情報を有難うございました。早速筆者も2012年に智積院を訪れ、宿坊に泊まり朝のお勤めを終えたあと境内を拝観し、桜図のもうひとつの姿を実見しました。尚、当時一般の拝観では桜図のもうひとつの姿を見学できなかったことを申し添えておきます。【戻る
13) ちなみに生のホタテ貝殻を砕いて作った粉末を暗がりに持ち込んでも、ぼんやりと光って見えることはありません。【戻る

14) 「ホタテ貝殻から創製した蛍光体とその応用」の p.496 左段上から6行目に下記のような誤りがありました。深くお詫びし、訂正させていただきます。【戻る
訂正前:「そこでFDA は,PCIDs(Physical-Chemical Identifiers)
12)と呼ばれる識別物質を用いて,パッケージではなく,直接医薬品に偽造防止マークを施すことを推奨している.」
訂正後:「そこでFDA は,パッケージではなく,直接医薬品に偽造防止を施すためのPCIDs(Physical-Chemical Identifiers)という識別子についてガイダンス
12)を公表し,周知した.」

公 開 日:2007/03/24
© 2007 Shimono Isao